2019-11

2019-11-27
『キャリアプランの限界』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

約15年前になりますが、
「キャリアプラン研修」を受講しました。

キャリアプラン研修とはその名の通り、
自分の仕事上のキャリアをどのように描くかといった内容です。

受講者の立場で窮屈だったことを思い出します。

会社で受けさせてもらっているので、
転職したキャリアを描いていると発表できません。

空気を読んでなりたくもないのに、
「3年後に役職者を目指す」と
言わされていたように感じます。

はたして偽物のキャリアプランを描いたことに
意味があったのか?と思います。

職場というフィールドを使って、
意味のあるキャリアプランを描くには、
2つの観点が必要です。

1つ目が今働いている会社は
あくまでも全体の一部分であるということ。

(これを恐れる上司は多いのですが…)

2つ目はライフプランがあって、
その中にキャリアプランが存在するということ。

B社は、キャリアプラン研修ではなく
ライフプラン研修をされているそうです。

あくまで描くのは人生全体。
その一部分が仕事と捉える。
仕事の一部分が現在の会社と捉える。

そしてどのようなことを描くかは自由。
内容に指導も入らない。否定もしません。

もし上司と部下でライフプランを
一緒に考えるとすれば、
過干渉と言われるかもしれません。

でも本当に部下が“大切な一人”であれば、
キャリアプランではなくライフプランを
一緒に考えるのでは?

おそらくライフプランを一緒に語り合った方が、
お互いに支援し合えることが見つかるし、
信頼関係が深まると思います。

会社で無理やり何本か線路を作って、
その上に社員のキャリアを重ねる。
そこには魅力を感じないでしょう。

私も自社でキャリアプランを話すことは
ほとんどなくなりました。
ライフプランばかりです。

セコい考え方を捨てて、
その人が望む人生に向けて、
貢献できないかと考えてみましょう。

 

2019-11-21
『正しい決断なんて誰も知らない』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

以前、恩師から

「経営者含めたリーダーは正しい判断をすることが大事だ。
 それ以上に判断は正しかったする努力がもっと大事だ」

と言われたことを思い出します。

A社で起きたことです。

Y部長は成績を出せる力はあるのですが、
部下からの人望がありませんでした。

Y部長の態度に不満を持っている部下は多数います。

かといってY部長を異動させる部署もないし
明確な異動理由もありません。

パワハラとして認定できるような声と証拠が
あるわけでもありません。

簡単に辞めさせることもできない。

会社にそれなりに貢献してくれているので、
なんとか会社に残れるようにしてあげたいという気持ちもある。

社長は研修で変わってくれないかといろいろな研修に
出させましたが、効果はありませんでした。

1ON1でコンコンと説明するのですが、
行動が変わることはありませんでした。

こういった状況だった場合、
あなたはどのような決断を下しますか?

バッサリと英断することも考えられますし、
周囲をなだめながら時を稼ぐこともある。

部長が変わる仕掛けをさらにするかもしれません。

正しい判断とは何でしょうか?

私も同じような経験がありますが、
雇用している社員にお金を貸した経験のある社長は
結構いますね。公にしないだけで。

「お金を貸すなんて…。
 絶対戻ってこないし止めたほうがいい。
 絶対に後悔しますよ」

多数の方がそう言いますし、
それが正しい判断だと分かっています。

分かっていますが、正しくない判断を選択します。

一般的には後悔しない選択をするべきだと教わります。

「後悔する判断をあえて選択する。
 正しい判断をしたら、もっと後悔したかもしれない。
 だから正しい破断に飛びつくのではなく、
 判断が正しかったと思えるように尽力すること」

どんな時でも100%、正しい判断ができれば理想的です。

でもいろいろな事情を鑑みると、
ベストではない判断を選択せざるを得ません。

一度決めた判断は、それが正しかった証明する努力を
チーム一丸となってすること。

こういった迷いのないチームが成果をもたらします。

 

2019-11-14
『ルールを守るか?それとも変えるか?』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

会社内にはルールが存在しますね。
皆さんの会社にはどのようなルールがありますか?

就業規則、服務規則、取引先との折衝規則、勤怠ルール、
営業開拓ルール、営業監理ルール、接客ルール、制作ルール…。

あげたらキリがありません。

ルールは“守ること”が前提です。
頭の固い人は、どのような状況でもそのルールを遵守します。

でもルールには作られた目的が存在し、
目的を忘れて、ルールそのものを守ることに
価値を見出している方がいますね。

またルールは作成時にベストだったかもしれませんが、
時の流れともに現在には適応できていないこともあります。

時代に適応できていないルールを、
遵守することに果たして意味があるでしょうか?

柔軟性がある人は、ルールは守りながらも、
ルールそのものを見直す必要がないかを考えています。

社内に変革をもたらす「変わり者」と言われる人達は、
ルールは“参考目安”ぐらいにしか思っていません。

だから既成概念に因われずに
新しい改善・改革を遂行していけます。

ルールを遵守することは得意でも
ルールを変えることは苦手な人が多い印象です。

ルールや規則は陳腐化していく。

アップデートしなければなりません。

 

2019-11-05
『精神論が最後の違いを作り出す』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

ラグビーワールドカップが終わってしまい、
心に隙間風が吹いています。

しばらく熱くなれるテレビ放送がなさそうです。

さて今回のラグビー日本代表の試合は、
毎試合が気が抜けない展開となりました。

キャプテンや勝利インタビューに応じた選手は、

「ONE TEAMが勝利の要因」
「気持ちで負けていなかった」
「ボコボコにしてやる気持ちだった」
「我慢比べだ。心が先に折れたほうが負けた」
「自分たちを信じてプレーができた」
「誇りを持ってプレーした」

などを話されていました。

このセリフだけ見るとすべて「精神論」なんです。

ビジネスの世界では、
精神論は古臭いとバカにされがちです。

でも本当にそうなんでしょうか?

ラグビーの世界を見ても、優秀なヘッドコーチを招聘し、
相手チームのデータを取り、自分たちを分析する。

科学に基づいて様々な点から検証し、
勝つための試合プランを作る。

でもそのとおりの展開になることは少ない。

最後の最後は、チームとしての精神論が違いを
生んでいるように見えます。

ビジネスも同様の事が言えるような気がしてなりません。

ある一定の所までは、
理論や科学、メソッドでたどり着くことができる。

でもそこまでで、あと一歩が届かない。
その一歩足りないのが「精神論」だったりする。

「精神論がすべて」という考え方は、
古いと言われても仕方がないと思います。

でも最後の最後は精神論が違いを生むというのは、
今もこの先も変わらないかもしれません。

精神論をバカにはできません。