2020-08

2020-08-30
『伊那食品工業から学ぶ年輪経営 NO.3』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

十方よしTV8月号には、
伊那食品工業の塚越英弘社長にご登場頂きました。

伊那食品工業様には『利益ウンチ論』
という考え方があります。

この話を始めて聞いたときは衝撃でした。

塚越社長はこんなふうにおっしゃっています。

「販促費や人件費など
 必要な経費を差し引いて最終的に残った数字が利益。

 つまり利益とはウンチである。

 皆さんはウンチをこれくらいだそうとか
 予め目標を立てることをしますか?

 でも多くの企業は利益=ウンチをどれくらい出すと
 目標を立てている。

 健康な体にさえなれば、
 自然と出てくるものがウンチのはず。
 
 ウンチの量を目標にする。おかしくないですか?

 健康なウンチが出てくる体質を作ることを
 目標するべきです

事実、伊那食品工業には
会社からトップダウンで降りてくる数値目標はない。

営業会議でも数値の話はない。

他社で見られる、営業会議内での
目標未達者への吊し上げもない。

何年後に売上をいくらにするといった経営計画もない。

それでも増収増益を続けているのだ。

このような事実を目の当たりにすると
私たちが常識だと信じてきた経営手法は、
資本主義の渦中で毒された考えなのかもしれない。

私はどうか?

ウンチを目標にしてしまうことがしばしば。

まだ道半ばの未熟者です。

 

2020-08-25
『伊那食品工業から学ぶ年輪経営 NO.2』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

十方よしTV8月号には、
伊那食品工業の塚越英弘社長にご登場頂きました。

伊那食品工業様では、一部の人材の抜擢はあるものの、
基本的に人事制度は年功序列を取り入れている。

毎年定額の昇給をしていきます。

近年、年功序列は珍しいですね。

年齢や勤続年数ではなく、
仕事のパフォーマンスで
評価をしていくことが一般的です。

私は素朴な質問をしました。

「胡座をかいてしまう人が出ないか?」

「若い人の足を引っ張ってしまう年配社員が出てこないか?」

「安心してパフォーマンスが下がる社員はいないのか?」

塚越社長は、

「一時、サボることはあるかもしれません。
 でもサボり続けることは難しい」
  
と答えられました。

社員の本性への信頼、
そして人間の本性を洞察されていますね。

人間である以上、
一時は気が抜けることがあるかもしれません。

でもそれは長くは続かないというのです。

会社が一つの家族と捉えている。

だから父親が子供を支える。父親が稼ぎ頭になる。
長男が弟たちの面倒を見る。
それが自然であるという考え方なのだと思います。

会社に利益が残る限り、
リーマンショック後でもコロナ下でも
昇給は例年通り実施する。

揺るがない信念。
何十年かけて作り上げてきた組織風土。

奇跡の会社です。

 

2020-08-13
『伊那食品工業から学ぶ年輪経営 NO.1』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

十方よしTV8月号には、
伊那食品工業の塚越英弘社長にご登場頂きました。

100分ほど対談をさせて頂きました。
興味がある方は十方よしTVへ。

世界のトヨタも学ぶ年輪経営。

塚越名誉顧問から
どのように年輪経営を引き継ごうとされているのか、
個人的にも興味がありました。

「家庭内で帝王学のようなものがありましたか?」

と質問した所、

「これが帝王学だと言われて教わったことはありません。
 
“ルールは目安”、“他人に迷惑をかけない”

 ということはよく言われました」

という回答が返ってきました。

小学生の時に教わりそうなことですが、
今の伊那食品工業様の経営に
反映されているなと感じました。

私になりに解釈をすれば、

“ルールが目安”というのは、
ルールが絶対基準=固定的に捉えると、
イノベーションが起こらない。
そして柔軟性ある対応ができないということ。

もう一つの“他人に迷惑をかけない”。

他人というのは目の前にいる相手だけではない。

会社全体の人、地域の人、同業の人、パートナー企業、
他業界の人、日本全体の人、後世の人、地球環境など、
これらを他人と捉えていると感じました。

私たちは他人に迷惑をかけて生きるしかない。

経営をすれば、
必ず他人に迷惑をかけている。

その事実を謙虚に受け止めて反省し、
最小限にする努力をするということ。

それが“他人に迷惑をかけない”に含まれた
メッセージだと思います。

話は変わりますが、週に2回の燃えるゴミの日に、
我が家からは45リットルのゴミ袋が毎回3~4袋出ます。

客観的に自分を見た時に、
“こんなにもゴミを排出しているのか”
と申し訳なく思いました。

週2回のゴミを外に出さないで、
家に置けば、我が家はゴミ屋敷になります。

ゴミを出さないで生きることは、
現代社会では難しい。

無自覚であっても、私を含めて
みんなが他人(環境)に迷惑をかけている。

迷惑をかけている事実を認めて、
迷惑を軽減する努力をする。
または別の分野で迷惑分を挽回する。

皆さんの職場に、

「私は誰にも迷惑をかけていない。
 むしろ私が迷惑していることが多い」

と言っている人はいませんか?

そういう人ほど、
他人に迷惑をかけている事が多い。

それに気づいてほしいですね。

 

2020-08-06
『うちの会社は潰れないですよね?と問われたら…』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

「従業員の不安を取り除ける経営者は、
 素晴らしい経営者だ」

と私は以前考えていました。

しかし最近は、

「従業員の不安には終わりがない」

ということに気づきました。

果たして半永久的に従業員の不安を
取り除くことができるのでしょうか?

最近であれば、

「コロナ下で私たちの会社は大丈夫なんでしょうか?」
という不安。

これならば理解できます。

しかし従業員の不安はこれだけではありません。

「成熟期を迎えた業界であれば、会社はこのまま成長を
 続けられるのか?」という不安。

「年配の上司が多く、ポストが空かない。
 自分は昇格して給料が増えるか?」という不安。

「定年まで自分は今と待遇が変わらず、
 働き続けられるのか?」という不安。

「給料がこれから増えなかった場合に、
 家族を養うことができるのか?」という不安。

「この会社には将来ビジョンがない。
 希望的なビジョンを示してほしい」という不安。

「自分は将来やりたいことがない。
 夢もやりがいも感じられない」という不安。

「他の会社に転職をしたら、
 自分は果たして通用するのか?」という不安。

「自分のスキルがなかなか上がらず、
 社内で存在価値を発揮できるか?」という不安。

あげたらキリがなさそうです。

私が違和感を持つのは

「従業員のあらゆる不安の解消を会社に求めすぎている?」

と感じます。

例えば「会社の将来性が見えない」という声があるので、
会社のビジョンを明確にし説明をする。

すると
「会社のビジョンはわかりました。
 社内で私の将来像がイメージできないので不安です」
という声が出る。

それならばと
会社のスタンダードなキャリアプランを設計して提示する。

すると
「私のなりたい姿はこの画一的なキャリアプランに
 当てはまりません」
という声が出る。

従業員が100人いたならば、
100人個々の不安を払拭するキャリアプランを
会社が描かないといけないのでしょうか…。

甘えるのもほどほどに。

個人の責任の領域まで、
会社が過剰に背負っているように見えます。

「うちの会社は潰れませんよね?」という質問が
従業員から出たとします。

「うちは大丈夫だよ。
 どんなことがあっても雇用を守る」

と答える経営者が素晴らしいのか?

「大丈夫なわけない。
 今が正念場。簡単に潰れてしまうよ」

と答える経営者が素晴らしいのか?

100年後、200年後、300年後には
現実、ほとんどの会社はなくなります。

従業員と同様に経営者も一人の生身の人間。
不安と常に向き合って生きているわけです。
(会社内ではその姿を見せないでしょうが…。)

不安とともに生きる。

これは人間として生まれた以上、宿命です。

死ぬまで「不安」なのです。

あなたの不安の解消を会社に求めても、
解決しないかもしれません。

あなた自身で解決しないといけない不安がある。

あなたの人生の主人公は、“あなた”なのだから。

 

2020-08-06
『二面性を否定しない』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

昔のことですが、
あるスタッフからの報告でショックを受けたことがあります。

「松本社長にはK部長の実態を知ってほしいです。
 K部長は私たち社員には威圧的。
 上から目線で威圧的な言い方をします。
 
 何か言いにくいことであれば、
 “これは松本社長の意向。
 社長の意向だからやりなさい!”と言う。

 松本社長の方針を分かっているつもりなので、
 そんなことを言うはずがないと思っています。
 
K部長の社長へのアピールはすごいです。
 あの豹変ぶりには引いてしまいます」
 

K部長に2面性があることは、
もちろん気づいていました。
しかし想像以上の声が出てきました。そこまでか…と。

「私に媚をうっても意味がない。
 私よりも顧客や部下を大切にしてほしい」

とは言ってきたつもりですが
届いていなかったようです。

かといって私は、
K部長を呼び出して非難する気にもなりませんでした。

なぜかといえば、
私含めて「人は誰しも二面性がある」と思ったからです。

「仕事で見せる顔」と「趣味で見せる顔」は一緒でしょうか?

「仕事仲間に見せる顔」と「恋人や家族に見せる顔」は一緒でしょうか?

「社長に見せる顔」と「部下に見せる顔」は一緒でしょうか?

「お客様に見せる顔」と「同僚に見せる顔」は一緒でしょうか?

「10年前からの親友に見せる顔」と
「3日前からの知り合いに見せる顔」は一緒でしょうか?

できれば、誰に対しても態度が変わらない、
「一貫性ある人間でありたい」と思う人もいるでしょう。

でも現実は誰しも二面性があるのです。
(正確に数えると二面性以上ですが…)

そしてどちらの顔が本物か偽物かではなく、
どちらも本物なのです。

私は部下Yさんの一面性しか知らないかもしれない。
それで理解したつもりになっているかもしれない。

私は上司Rさんの一面性しか知らないかもしれない。
職場では鬼上司だけど、家庭に帰れば優しいパパかもしれない。

誰しも二面性・多面性を持っている。
それを攻めることもできない。
その人にとって、それは“生きる術”なのかもしれない。

多面性を知ることが
相手を理解するということでしょう。