2021-10

2021-10-28
『結果が出ても自己否定』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

先日のサッカーワールドカップアジア最終予選。
オーストラリア戦は最後までハラハラしました。

何とか2位以内で自力通過できる可能性を残しました。

執念で引き寄せた結果でした。

結果がついてきたので、
様々な勝因が言われています。

個人的に「監督業=マネージャー業」の難しさを
改めて痛感しました。

これまで最終予選に至るまでは、
ほぼほぼパーフェクトな結果でした。

ヒヤヒヤする試合がほとんどなかった。
楽勝ムードで最終予選を迎えたわけです。

他のチームと比べても個々の能力が高く、
上位通過が確実視されていました。

初戦のホームでのオマーン戦に負けて、
アウェイでサウジアラビア戦に負けて、
完全にその評判が打ち消されました。

親善試合などではいろいろな選手を試してみたものの、
やはり実績のあるレギュラー選手の方が計算ができます。

確実にパフォーマンスを発揮してくれそうな選手を使い、
システムも最も慣れている4-2-3-1。

これで最終予選の3試合を戦ってきました。

そして一昨日のオーストラリア戦では

新しいシステム4-3-3で臨み、
フレッシュな選手が機能し、結果も出してくれました。

ビジネスでは、
「結果がプロセスを肯定する」
と言われます。

これまで順調に勝利し続けてきたので、
選手起用もシステムも肯定されてきた。

経営者やリーダーも
上手くいっているうちは誰も方法を
変えたがらないではないでしょうか?

「結果が全て」と言われてしまえば、
結果が出そうな最も確実な方法を取るし、
結果が出るうちは、あえてリスクを取る必要がありません。

ビジネスで言えば、成果が出ていれば、
「このままやればいい」「このまま続ければいい」と
思い込んでしまう。

上手くいかなかったら、
反省をして方法を変えることは誰でもできる。

上手くいっていても、
あえて方法を変えることができるかどうか。

予選突破がゴールではなく、
ワールドカップでベスト8に入ること。

ビジョンから逆算することを忘れてしまえば、
「上手くいっていても変える」という選択肢を取ることは
難しいかもしれません。

あなたの会社でも、
結果が出ているから「それでよし!」
としてしまっていることはないでしょうか?

仮に良い結果が出ていても将来を見据えて
変えるリスクをあえて取ること。

それが監督・マネージャー・経営者に
必要なマインドなのだと思います。

 

2021-10-24
『信念の作り方』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

東京オリンピックを最後に引退を表明した
マラソンランナーである大迫傑選手。

以前から彼の発言一つ一つが気になっていました。

実業団からアメリカに練習の場を
移すことは当時は稀な選択。

「どうせ上手くいかない」

と周囲からも言われたそうです。

家族と離れてケニアで長期合宿をし
トップランナーと高地トレーニングをして
自分を追い込む。

どうしたら強くなれるか…。

自分で考えて、自分で結論を出しているようでした。

日本記録を作った大迫選手ですが、
中学時代に挫折を経験。

先生から与えられたメニューを従順に
こなしていたが1位になれなかった。

その時に悔し涙を流し、
「1位になるための練習をしたい」
と顧問の先生に自分の気持ちを
打ち明けたそうです。

勝つための練習を自分で考えて、
自分で実行する。

この基礎ができたのはこの時期なのかもしれません。

大迫選手を知る知人からは
「彼には信念がある。ぶれることがない」
と言われていました。

私は「信念はみんな持っている」と思っています。
ただ軸の太さは人それぞれです。

大迫選手を見ていると、

他人からどう言われるか、
他人からどう見られるかではなく、
自分がどうしたいか。

自分で考えて、自分で行動を選択する。

トライ&エラーを繰り返す。
そしてどんな結果だったとしても
周りのせいにせず自己責任と捉える。

それを繰り返すことが
信念を太くすることに繋がっているのではないか?と
思います。

逆に言えば、私たちは日頃、
他人からどう言われるか、
他人からどう見られるかを気にしすぎている。

自分で意思決定しているようで、
実は周囲の空気や圧力で意思決定させられている。

だから何年経っても信念という軸が
太くなることがない。

大迫選手から信念の作り方を学びました。

 

2021-10-17
『知識なき発言は罪』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

テレビでは、ワイドショーや報道番組を見ると
コメンテーターが呼ばれています。

コメントは、元経営者、芸人、元政治家、等。
バックグラウンドは様々です。

それなりに顔が売れていればよい?
という人選でもあったりします。

テレビでの発言なので、
それなりに影響力を考えた発言が求められます。

コメンテーターは司会者から
何かしらコメントを求められるわけですが、
なぜ専門家でもないこの人にコメントを求めるのか…、
と思うことはないですか?

それ自体問題なのですが、
知識があまりに不足している中で、
ご本人は論理的にコメントをしているつもりに
なっている方も見かけます。

その分野の知識人からすれば、
笑われてしまうレベル。

あまりに自信満々にお話しされているので
突っ込みもできないのでしょう。

この現象を見ると、
影響力がある立場になったならば、
「知識がないことは罪」と思います

「知識がなくても
 自分の意見を発信してほしい」

新入社員のときはそのように教わりました。

知識があるなしよりも、
自分の意見を発信することに価値があるからです。

しかし立場が変わっても相変わらず
「知識がなくても自分の意見を発信する」
ということは、ブレーキにもなるし罪にもなります。

必要な知識がベースになければ、
ディスカッションも成り立たないですね。

知識は武器であり、
知識が知恵を生む。

知識がないから他人を傷つけ、
知らないから的外れの意見を発信する。

改めての知識の重要性を考えさせられます。

 

2021-10-07
『SDGsに違和感を抱く理由』

こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。

SDGsという言葉を頻繁に聞くようになりました。

学校でも履修する内容なので、
社会人より学生の方が「サステナブル」への意識が
高いかもしれません。

会社選びにおいても「サステナブル」な取り組みをしているか。
そこにも目を向けるようになってきています。

ここにきて関心を持ち始めたのは、
気候変動を肌感覚で捉えられるように
なってきたからではないでしょうか。

日本においても「50年に一度の~」「観測史上最も~」と
形容される災害が頻発し、状況の悪化を感じられる。
不名誉な記録更新をしています。

SDGsの書籍を読んだり、セミナーに複数参加しているのですが、
違和感を持つことが多いです。

本当にこの問題を解決しようとしたら、
現在の資本主義というシステムを破壊しなければならない。

しかし世界は資本主義で回っているので、
これを壊すことはできず、資本主義を維持しながら
SDGsに取り組みましょう!ということになる。

マイボトルやマイバックを持ち歩ければ、
「ちょっと意識が高い」と思われる。

大手コーヒーチェーンではストローを置かなくなった。

このような

「一人一人の資源の消費を減らそう、
 または環境に配慮した行動が大切なのです」

と最後は結ばれることが多いのですが、
本当なのか?と思ってしまいます。

賛否両論あるようですが、
斎藤幸平氏の『人新世の資本論』には
下記のような過激なメッセージがあります。

「SDGsは大衆のアヘンである」

「自分は何か小さなアクションをやっていると思うことで
 今本当に必要とされているもっと大胆なアクションを
 起こさなくなってしまう」

SDGsにおいて意識の高い方は、

“私は小さなアクションを取っている。
 それが個人レベルでできることです”

と言われている気がします。

もちろん何もアクションを起こしていない人よりも
称賛されるべきなのかもしれません。

一方でアクションをしていることで
“安心”と“小さな満足”を得てしまって、
本質的な問題を見なくなってしまう。
または解決の先送りしてしまうことがありそうです。

これはSDGsだけでなく会社経営も一緒だと感じました。
現場レベルで一人一人ができることをやっている。
それで良し!としてしまい、大胆な変革を起こさない。

小さなアクションをしていることで、
本当に直視しなければならない問題から目を背けてしまう。

解決の先送りをする。
アクションしているから「まぁいいじゃないか!」と。

サステナブルな姿勢、経営への姿勢。
どちらにおいても自分によく言い聞かせたいと思います。