こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
学校で起きる問題の1つ、「いじめ」について。
文科省はいじめの定義を広げたようです。
「児童等に対して一定の人的関係にある他の児童等が
おこなう心理的・物理的な影響を与える行為であって、
当該行為の対象になった児童等が心身の苦痛を
感じているもの」
要するにいじめは、
子供が嫌だな!と感じること全てになってしまった。
キリがないですよね。
いじめの授業を受けたと言っていた、
何人かの小学生に授業の様子を聞きました。
「相手が嫌だと思ったらそれはいじめ」
と言われたと。
その小学生は納得していませんでしたね。
「嫌なのかどうか、相手の感じ方の問題。
何も言えなくなる」と。
「相手が嫌だと思ったらそれはいじめ」
そんなお花畑な世界があるのでしょうか…。
大人の世界でいう
「相手がハラスメントと感じたら、
それは全てハラスメント」
と同じようなことですね。
教育現場が長い方は、
深刻ないじめが起きるのは小学4年生以降だと
認識しています。
幼稚園から低学年までは
小さなトラブルが絶えません。
相手にいじわるをしてしまう子もいるでしょうね。
それがいじめと定義されてしまったら…。
幼稚園や保育園でも、
子供がいじめられていると相談にくる保護者が
一定数いると聞いています。
トラブルが予め起きないようにすること。
それはそれで否定しませんが、
トラブルゼロの社会を目指すのは的外れ。
社会で求められているのは、
「トラブルが起きた時に
真摯に向き合い解決できる力」ですよね。
学校も社会の縮図と言われます。
いかに解決するかを学べる場所だと思います。
それが大人が過剰に先回りしすぎた対策のおかげで、
本来、経験することも経験できなくなっている一面も
あるかと思います。
死なない程度、重症にならない程度のトラブルは
経験しておいた方がいい。
企業経営も一緒ですね。
トラブルが起きない会社はありません。
トラブルが起きない会社がいい会社でもない。
トラブルは起きて当たり前。
起きた時にどのように頭と体を使って、
対処するかが重要です。
学校の「いじめ」のように
トラブルの定義を広げてしまい、
何も起きない会社を目指すべきではありません。
トラブルがあるから現実社会。
そのような心構えでいてほしいものです。