経営理念浸透ブログ
『11年経っても70人の街』
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
福島県双葉町に行ってきました。
双葉町は、2011年の東日本大震災に伴い発生した
東京電力福島第一原子力発電所事故で
全町避難を強いられました。
11年経ってようやく2022年8月に一部地域で避難指示が解除され、
住民の帰還が始まりました。
しかし一度離れた住民はなかなか戻らず。
7000人いた町民は現在は70名だと聞きます。
アンケートでは、避難先で自宅を購入・建築しており、
将来も継続的に居住する予定のため、
町に戻りたいと答えている人は11%だといいます。
さて2011年の震災時に、
福島第一原発ではどのようなことが起きていたのでしょうか。
映画『Fukushima 50』
ドラマ『THE DAYS』
門田隆将の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』が
どちらも原作になっています。
これらは当時の状況を詳細に記しています。
東電と官邸との責任の押し付け合い、
東電本部と吉田所長含めた事故現場での意思疎通が
上手く行かないもどかしさ。
放射能の見えない恐怖も伝わってきます。
暴走した原発を止めなければいけないが、
制御装置のコントロールがきかない。
危険と隣り合わせの中で、有事のリーダーシップが見られます。
若い社員を守ろうと、ベテラン社員が
原子炉建屋内に突入する決死隊を志願する。
水素爆発後、万が一を想定し、
最低限の人間だけを残して、
他の多数社員や協力会社を安全な所へ避難させる。
過去に例がない大事故。
最後の最後まで考えつく限りの方法で冷却作業をし
”最悪の結果”を引き起こさないように最善を尽くします。
”最悪の結果”とは、首相の発言にもあったように、
「日本が北海道と西日本に分断されてしまう」。
つまりそれは福島を中心とし、
関東から東北まで人が住めなくなってしまうことを意味します。
賛否両論あると思いますが、
”最悪の結果”を招かなかったのは、
命を懸けて立ち向かったリーダーがいたから。
それは間違いありません。
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