先日、品川区内の子ども食堂が集まる
イベントに参加してきました。

運営主体は、NPOでされている方もいれば
個人ボランティアでされている方もいる。

彼・彼女らの共通している叫びは、

「国は余計なことをするな」

といったもの。

「こども食堂」の名付け親で、
13年前から東京都大田区で活動された近藤さん。

子ども食堂から一線を引く決意をされたとのこと。

「こども食堂は子どもの貧困解消に役立つ、良いことだ」
というイメージが広がった。

月に何回か食事を提供しても、米を数キロ渡しても、
子どもの貧困は何も変わらない。

自分が始めた意図と違う方向に歩み出してしまったと。

ACジャパンの広告によって「子ども食堂」の
認知度が上がりました。

誰でも来てもいい!というメッセージです。
こちらの広告は現場の人間からすれば大不評です。

この影響で本当に届けたい子供に届けられなくなった。

以前から来ていた人がふらっと来れなくなり、
予約制にしなければならなくなった所も。

なかには食費代を浮かすために
利用するサラリーマンもいる。

お米の配給などがあれば、乗ってきた外車を
見えないところに隠し、
米をもらって帰る大人もいる。

違法ではないので、
思いもよらない使われ方をされてしまいます。

これまでのようにご厚意で集めた食材を
必要な人に届けられなくなってきています。

ACジャパンの広告によって、
貧しい子供だけでなく誰でも使える、
大人も集まれる場所になれる。

そんなイメージが広がってしまったと。

活動する団体には補助金も用意されて、
補助金目当ての団体も出てきている。

現場で活動する人たちが共通して言われていたこと。

「近所のおばちゃんの所にふらっと寄って、
 そこでお腹を満たす。

 話したいことがあれば話すし、
 話したくないことは話す必要はない。

 親が何をしているかもこちらからは聞かない。
 子供がふらっと寄れる場所を作りたかった。

 補助金がもらえる・もらえないは関係ない。
 私がやりたいからやっているだけ」

そのような純粋は思いを持っている方ばかりでした。

子ども食堂が増えたところで
貧困がなくなるわけではありません。

それは対処療法ですし、
政治的アピールに使われているように
見えてしまいます。

某首相は、
「子ども食堂を活動されている皆さんと伴奏したい」
といったコメントを出されてみたいですが、

当事者たちは
「別にあなたと伴走したいわけではない。
 余計な干渉をしないで、そっとしておいてほしい」
と言われていました。

「子ども食堂がいらない世の中になればいい」
とさえ言っています。

本当は必要のない組織を作ると、
その組織を維持するための活動になってしまう。
「こども家庭庁」もその1つですね。

「やっている感」を出すための施策になる。

マクロで見ればその組織そのものを解体し、
予算を別のことに使うことの方が効果的です。

行政の関わり方や支援の仕方を間違えると、
意図した方向とは全く異なる方向に向かってしまう
事例と言えるでしょう。